生まれ変わった鼻血ブー

信長正義の現在、過去、未来。

ふぞろいの腐った果実…②~定時制高校卒~

先日、

かみさんが嬉々としたオーラで
茶封筒を親指と人差し指に挟んで
「これなあんだっ」
とか言って寄ってきた、

「うわっ!
 またなんかやばいの
 見つかったか!?」

世の男は経験があると思うが、
女性の嗅覚というか
何の感覚なのか知らんが
とにかく隠そうとしたら見つかる、

結論から言うと、
高校の「在学証明書」ていうの?
それだった、

「どこにあったの?」
「そこの棚ガサガサしてたら」
「・・・」

不思議でしょうがないのだが
そんなに未知の領域でもない
いつも何気なくは視界に入ってて
「ガサガサ」しない場所だ、

今回は決して
見つかってやましいもの
ではなかったけど、

何の意味があって
そのことが起こっているのか?
神様に聴いてみたいようなことが
起こるときあるよね?・・・

「都立代々木高校」
と書いてあって
開けちゃいけませんよ
みたいなハンコが押してある、

「あー、これ
 鍼灸学校受験した時のやつだ」

実はぼくは、
中卒の事業家で
尊敬する「斎藤一人」さんのように、
社会に出てから
学歴がないことを
強味に生きてきた人間ではない、

高二で学校に行かなくなった時も
退学届けを校長室に
バーン!と叩きつけてやめてきた、

というようなアグレッシブで
ポジティブなやめ方を
したわけではなく、
母親が学校に相談しに行って
結局「休学」扱い
になっていただけのようだった、

それからは、
ぼくの場合は
家にいるのも面白くなかったので、
近所にあった「日本標準」という
教科書をつくる会社に
事務のバイトをみつけ通った、

お金は稼ぎたかったんだろうし
肉体労働は頭になかったようだ、

すでに対人恐怖症だったので、
人とあまり話さなくても済むような
「事務職」的なことが楽だ
と考えていたかも知れない、

5~6階建てのビルで
初めは2階のだだっ広いフロアの
女子社員の隣の事務机で、
封筒のあて名書きをやらされた

やらされた
と書いたが、
2~3か月は忙しくて
次から次へと仕事があって、
そんな感覚でやっていた、

ぼくの机の向かい側には
先輩のアルバイトでおじさんがいて、
あの人いくつだったのかな?
ちょっと髪が薄かったから
40代くらいに見えたけど、
当時のぼくとしては
こんなおっさんがアルバイト?
と自分の現状は棚にあげて思った、

この先輩はしかし
字がとても綺麗で
文字を書く仕事は
天職のようだった、

実際、
繁忙期が過ぎて
仕事が少なくなって
ぼくが朝来て夕方帰るまで
ほぼ座りに来ている状態の時も、
この先輩には時々
「達筆だからこそお願いされる」
仕事が来ていた、

上の階には
大学生のアルバイトがいて、
時々彼らに交じって仕事をしたが
そんな日は極々まれで、

たまに2階で
女子社員からコピーを頼まれて
フロア奥のコピー機を使ってたら
年配の社員から
「上の階でやれよ!」
と怒られて返答に窮していたら
女子社員に助けられた
というような事が重なった、

相変わらず
ただ椅子に座っているだけ
っていう日が続いたので
さんざん悩んだ末に勇気を出して
「今週でやめます」
と女子社員に告げたら
あっさり受け入れられてやめた、

その後は
母親がパートをしていた
OKというスーパーマーケットで
アルバイトをさせてもらって
主に品出しをやられてもらって
コネのヌクヌクだったこともあり
楽しかった、

仕事はやることがあって
楽しかったようだ、

年が明ける頃には
「高校くらいは出た方がいいな」
と節操もないことを
事務バイト経験も踏まえ考え始め
結局「都立代々木」に
編入というかたちで入った、

「全日制」に一年遅れで戻るのは
とても考えられなかったし、
夜間に通う人たちを偏見の目で
一年前には見ていた記憶があった

自分がその視線の中に入る
勇気がなかったので
前の学校に戻る選択肢はなく
よくよくいろいろ調べたら
代々木は夜間と三部制のみで
全日制のない特殊な都立高
ということわかって決めた、

相変わらず、
手続きには母の手を借りていた、

話は長くなったが、
そんな高校の「在学証明書」
の入った封筒を
かみさんはぶらさげているのだ、

「開けてみていい?」
「ま、いいけど…」

そう言えば、
この開けちゃいけません的な
ハンコの押してある封筒の
中身を見たことはなかった、

師匠のところで2~3年働いて、
師匠との格差が明確になったり
治療的な領域の難しさを
ひしひしと感じ始めた頃、
「国家資格はとった方がいい」
とまたまた節操のないことを考え
4~5校受けることにした時に
母校から取り寄せたんだった、

その残りの一通だったようだ、
鍼灸科」のみの学校と、
鍼灸あんまマッサージ科」と
両科のある学校を数校受けた、

開けて見るのを
ぼくはややためらったが、
かみさんは躊躇なくビリっとやり
その中から
初めて見る書面を取り出した、

なんだか胸に詰まるものを感じ
じっくり読む事が出来なかったが
枠で仕切られて数字が並んでいて

ざっとみても
劣等生の足跡が
リアルに数値化され
そこに刻まれていた、

その中に数行の手書きの文字が
書かれてあるのが見えた、

今すでに忘却機能がしっかり働き
はっきり文章で覚えていないが、
小学校の通知表と
同じようなことが書かれていた、

つまり、
一学期は落ち着いていたが、
三学期に進むにつれて
落ち着きがなくなってきた
というのと同様のことだった、

「周りに影響され良からぬ方へ」
みたいな言葉が入ってたと思う、

当時のぼくは、
昼間は住んでいた荻窪から
東西線で神楽坂まで行き、
そこから歩いて10分ほどの
セブンイレブンでバイトをして、
そこから小田急線の代々木上原
最寄りの代々木高に通っていた、

通っていた、
といっても
当然のごとく毎日は行ってなくて、
しかも酒を飲んでから
授業に出ていた、

「単位が足りない!」
という夢をしょっちゅう
ごくごく最近まで見た、

それはその当時、
実際にそういう状況から
ようやく卒業出来たという
リアルを元にしてのものだった、

そんなんだったな…

当時は
ある程度競争率が高く難関だった
鍼灸あんまマッサージ科」
は一校も受からなかった、
という現実をあらためて受け止めた、

「これじゃあ
 まともなところ
 どこも受かるわけないわ…」
そりゃあ当然だわ

一般的な世間の目が
ぼくにとって冷たく感じるのは
「当然のこと」だと思える・・・ つづく