生まれ変わった鼻血ブー

信長正義の現在、過去、未来。

【天の意志】

(寅さんと梅ちゃんたち)

 

イデオロギーを固定し表明し
右か左かを歩きたくはない

 

右でも左でもどちらでも
〇〇主義でも〇〇でも


自分の主張を押し通したい
とはやはり思わない

 

歴史の過程では
それぞれその時の最善の道を
歩んできた

 

未だ見いだせていない道を歩く

それが今の私ですと
恥ずかしながら明らかにしてみる

 

左に傾いたら右に憧れ
右に行ったら左に引きずられ

 

体制がどちらに傾こうと
そこに心底浸ることは出来ない

 

抵抗し対抗して闘うのも違う

自分と自分の周りの
暮らしを大切にしながら
傾いたどちらかの
間の道をヨタヨタ歩く

 

寅さんに観た「正義」は
彼に託したものではなく
自分の中にあるものだった

 

それに気づいた…

 

だから

落ち込むのはおかしい
それに気が付いた笑

 

そのうちぼくの国でも
彼らの現状を
肌に感じて暮らすことになる
かも知れない

 

闇がぼくらを覆いつくしていて
全くの無力であることを
思い知って絶望する前に

自らが光であることに目覚めよう

 

お蔭でぼくの目は
少し見えるようになった

 

闇の中で笑おうと
両手に有り余るほど抱えようと
この地の上での
天の下での
幻だ

 

今までのように
ヘタレながら
ヨタヨタしながら

 

ただ

いっそう灯を掲げて
今を歩いていく

今思う『働く』ということ

今この時
「お金のため」
だけだとしたら
「もう働くことは
 出来ないかも知れない」
と思うことしばしばだ

プロとは?
プロで居続けるとは?

働くとは?
働き続けるとは?

働き続けられるのは
何でなんだろう?




2014年のこと
だからもう6年前の話

その頃
ぼくはとにかく
すべてにおいてガムシャラで
今思うと
かなり振り幅広く本気で
一生懸命がんばっていた

「振り幅」ってのは
感覚的なものだけど
”喜び”とか”落込み”とか
その度合いがとても激しく
しかもその上下の起伏を
さらに酒で増幅させていた

どっちにしても酒を飲んだ

それが当たり前で
すこぶる心地良かった

それでも
「喰うために働く」
というのは当てはまらなくて
自己実現のため」
というのがしっくりくる

具体的に言うと
整体の仕事は
施術回数を増やし
売上を月100万以上にすること
そして法人化し
規模を拡張するために
人材を育成する
「そのために」という感じだ

同時に
前年ベストメンバーが揃った
バンドの活動を本格的にしたくて
某プロダクションに所属して
本気でプロになるつもりでいた

この活動はその後間もなく
お金の問題で手痛い目に合い
そのお蔭で心から
自分の音楽に対する気持ちが
明らかになるのだが
それもガムシャラ本気の
賜物だと思ってる

それはともかく
今思うとそれらは
「経済的な成功」を目指すもの
に外ならず
それはそれで必要なんだろうけど
他の何かが欠けていたと思う

大きく欠けていた…

その頃
知り合いになった
世間的にもぼく的にも認められる
とても優秀な治療家がいて
実質成果を上げていらした

いわゆる保険医療ではなく
ぼくと同じ民間施術の自費料金で
しかもより短時間に多くの患者を
集めて施術をされるので
その報酬も桁違いのようだった

治療時間は一人につき15分程度で
絶え間なく患者がいるそうだから
6時間稼働だとしても
一日に20人以上を施術されている

ぼくはその方を尊敬しているし
今でも憧れの存在であることは
変わりない

ただ
自分が「その様になりたい」か?
と聴かれたら
今ははっきり「ノー」と答える

その頃は
「その人のようになりたい」
と思っていたし
「その人のその状況」
の方が明らかに
「自分より上」だった

今は違う


当時ぼくは
年下のプロギタリストに
ターレッスンを受けていた

その先生の活動も
ぼくにとって華やかで年収も高く
年下だが「自分より上」
の存在だった

その人にその治療家の話を
何かのきっかけでしたのだが
その年下先生の反応は意外で

「うわぁ、大変ですね、
 その毎日じゃあ
 逃げ出したくなるでしょうね笑」

ぼくはその時
その言葉を
正確には理解できなかったと思う

ただ
それから6年
独立して15年
この道に入り20年目の今
自分の足跡を振り返った時に
あらためて思う

『施術の仕事だけに
 自分を使うことはできない』

それが正直な答えだと思う

ぼくはこの答えを
「正々堂々と
 公言することが出来なかった」

何故か?

「誰かに悪い」
と思っていたからだと思う

誰か?

「その仕事一筋にがんばってきた」
誰かだと思う、たぶん…

その代表は
父親だし
母親だし
師匠だし
あの人だし、あの人だ

「〇〇のために
 自分のやりたいこともやれずに
 我慢してがんばってきた」
というその人たちで

あるいは
「地位・権益を確保するため」
自分を守ってきた人だ


話が広がっちゃったけど
「自分より上」
の存在の
その「サンプル」に
自分を「当てはめよう」とすると
当たり前のことだけど
結果的に無理がきて
「当てはまらない」自分に
嫌気がさし自己概念が下がる

そして自信をなくして
自分を見失う

そんな感じだ

プロギタリストとして
あらゆるジャンルの音楽に
即対応し
そつない成果を上げ続ける
職業人としては
当たり前のことながら
自己表現とか自己実現よりも
優先すべきものがあるだろう

プロの世界
といえば
表から見たらただ
華やかで楽しそうに見える内側に
それこそ血のにじむような
努力があったはずだ

その状況を得られたのも
それが縁とか運であっても
それを得られたことが才能だし
それに耐えられるのも才能だし
耐えたその後に
開花出来るのも才能だ

開花したからこそ
プロで居続けられる

プロで居続けられるのも才能だ

だからって
「一生涯その道一筋」
で居続けるってのも尊いけど
そうでない「サンプル」もある
それも見えてきた

たとえば古くは
大橋巨泉さんとか
上岡龍太郎さんとか
事情はともかく
島田紳助さんもそうだし
タッキーもそうかな?

女性では山口百恵さんも
キャンディーズ
事情はわからないが
飯島愛さんもそうだったのかな?

プロ全盛期でもその一線から
転身できる人もいる


『多様性』
ということを深く感じてみたい

いろんな生き方
考え方があっていいのだ

なのに
自分の固定概念からはみ出すと
その嫌悪感に我慢できずに
排他的になるのは愚か過ぎる

その嫌悪感を消化出来ずにいる
そんな人こそ
自分の中身を観るべきだ
大いに勝手乍らそう思う

いや
そう思えるように
価値観が変わった
見え方が広がったんだ

「経済的な成功」や「お金」が
「自分が今生きていてやること」
よりも
「価値が高い」
と見えていたとしたら
とてもじゃないけど出来なかった
そこに時間を使えるようになった

誰の目も気にせず
誰にも褒められずに

それは
かみさんと居る時間だし
畑に行くことだし
脇芽を摘んだり
雑草をむしることだし
酒も飲まずにご飯を作れることだ

内容や音の良し悪しや
文章や演奏や容姿や作品の
出来不出来にかかわらず
ブログや動画をネット上に
公開、発信する事をやり続ける

数多ある中から
ぼくの施術を必要として
待ってくれてる人のために
時間を費やすこと

それも
「自分が今生きてやること
 の価値が何よりも大切」
であることの証なんだと思う

そこを立ち位置として
生きていきたい

そこを立ち位置として
それが
他のためにもなりそれが
この生で『働く』ということなら
生き続けていたい

毎朝目覚めていつも快適で
「今やりたいことをやる」
そのために生きていける

アセンション(次元上昇)するリアルでゲームのような夢を見た②

すぐに異変に気がついた

はじめは目眩なのかと思ったが
全体が激しく揺れていた

普通に立ってはいられないほどで
しかも実際に頭の中は
ぐるぐると螺旋に渦巻くようで
尋常ではなかった

仲間も同様に悲鳴を上げながら
平衡を保つのに必死の様子で
その先の壁のくり抜きからは
砂浜と海が見えた


その瞬間に
視界にノイズが入ったように
ややピントがずれてぼやけ
静止画になった

視界だけが止まった

まさに電波状態の悪い
テレビ放送が事故でストップして
その静止画面がそのまま
目に貼り付いた様な感覚だった

視覚以外はこの異変を
リアルに感じ続けていて
立っているのに必死で
原因不明の目眩の中で
自分のあげる声と
周囲の悲鳴を受けとっていた

視界は
海の青が写り込んだ静止画のまま
目を開けてても閉じても同じで
それが一層不安を煽った

少しずつ歩幅を移し壁を探り
くり抜きの端からドームの外へ出た

状況を冷静に把握したかったが
首を振り前後左右を見渡しても
目には画像が貼り付いたままだ

どうやら巨大な地震が起きている
そのくらいは理解出来たが
頭の中を螺旋状に渦巻く
目眩の正体はそれに一致しない

大地だけが揺れているのではなく
空間全体に変化が起こっている
そう感じていた

そしてその螺旋は
全身を取り巻くようになり
身体ごと天に
引き上げられる感覚に変わった

「あー、これ
 死ぬ夢と同じやつだ」

死ぬ夢は
その夢の世界で死ぬ事になって
「あ〜、死んだぁ・・・」
となって眠る様な感覚になったら
筒状の中を螺旋状に
ドリル式に回転しながら
ズリズリズリっと渦巻き通り抜け
現実の布団の中の自分に戻る

「とにかく、
 この世界は終わるんだ」

そう想いながら
渦巻きに巻き込まれた状態のまま
感覚的に海が見えた方向へ
ゆっくり一歩一歩進むのはできた

仲間がどうしているか気になった

「仲間を助けたい」
本気でそう思った

すると
目は静止画像のままのはずなのに
ドームの外の海側の
砂浜になっているところに
仲間が全員いるのを感じた

仲間の状況が
手に取るように感じられた

全員が同様に視界がないようで
初めて知る恐怖に呑込まれていた

何をどうすれば良いのか
訳もわからぬまま思わず

「みんな、
 ここに輪になろう!」

喧噪の中そう呼びかけたら
全員そこに集まって
円陣を組む形になった

全員がそれぞれの肩に腕をまわし
そうすると動揺が静まり
いわゆる一体化する感覚になった

ほどなく地面の揺れと
身体ごと何かに巻き込まれていく
それまでの感覚がなくなり
自分たちがまだ生きていて
無事ここにいるのを強く感じた

「わぁーっ!」

全員が大声と一緒に
真っ青な空に届くほど
高く両腕を振り上げ歓喜した

小さい子どもは
まるで空中に2〜3メートル程
跳ね上がっているようだった

するとそれも束の間
左手の方から
ゴーっという低い唸りが聴こえて
それは白い大きな波で
陸へ向かってくる音だとわかった

津波だっ」

とっさに振り返ると
緩やかな坂の上の丘の
高さはないが
横長に広く見える茶色で
古いヨーロッパ風建物に気付いた

「みんなあそこまで移動しよう」

ぼくがそう呼びかけると
牡羊座のおじさんが
先頭をきって歩き始めて
みんながそれに続いた

全員
我先に焦って走る
ということはしなかった

ぼくは
女の人と並んで一番後ろを
皆んなの様子を伺いながら登った

登っている間
後ろを振り返るものは
一人もいなかった

ぼくも
心穏やかに歩いてた

丘の傾斜が緩やかになり
建物の壁沿いから中に入る
扉のない入口手前に石段があって
片足を掛けたら
その時初めてハッと気がついた

「目が見えてる」

思わずそう呟いて
左の女性の方を見た

その人も頷きながら
同じことを考えているのがわかった

そして
天上から降りてくる様に
もう一つのことが鮮明にわかった

アセンションだったんだ」

「合格」
どこかからか聴こえてきた
というか全身に響いた



「仲間を助けたい」
自分の世界が終わる
そうわかってからも思った
本気でそう思った

実は
その時から周囲が見え始めていて
自分の生死は忘れていた

みんなと円陣を組んだら
光が強くなり
色彩が鮮やかに感じられた

そして
自分とそれ以外を隔てている
緊張したいつもの感覚が
全くなくなっていたと思う

それは
ライブで何回かに一回感じる
一体感に似ていた

自分の身体とそれ以外の境目が
なくなる感覚だ

ライブではぼくが主導し
描いた時間と空間を
音の波動で充たす

バラバラの思考で緊張し
個に凝り固まった「我」の格子を
「自由になる為に余分である」
とか
「自分を守る為に必要な砦だ」
とか思い巡らす間もなく外し
調和する

それが次元上昇なのだ

4次元までは頻繁に上昇出来る
肉体が朽ちるに従い
時間的に物質的に「我欲」が
なくなってしまえば
3次元に居続けることが出来ず
上昇せざるを得ない

問題は
肉体があるうちに4次元を知り
物質世界の中で
他の存在が自主的に苦痛なく
4次元に上昇するその手助けを
自分の時間を投げ出し行なえるか
それが試されているのだ

そしてぼくは
そのゲームをクリアし
5次元に入る扉が開かれ
「神」の仲間入りを果たしたのだ



一瞬のうちに
そんな感慨に浸りながら
建物の廊下に足を踏み入れていた

もう陽が当たらなくなった仲間の
ぼくを忘れただろう背中が見える

だんだんと意識をこの世界に戻し
いつもの布団の中で目を開けた

そういう夢だった… (完)

アセンション(次元上昇)するリアルでゲームのような夢を見た①

今朝のこと
とてもリアルに感じる夢を見た、

夢って
実際にその世界がそこにあって
そこにいて
そこで行なわれたことの記憶
って感じがする、

今朝の夢は
「死ぬ夢」の類いだけど結果的に
アセンションって
 こういうことだったんだ!」
っていうところで目覚めた、

ぼくの見る「死ぬ夢」は今まで
「あ"ぁ−っ!死ぬって
 こういうことだったんだーっ」
で、
現実に戻って
ふとんの中ってパターンだった、

 


どこからどういうシチュエーション
だったのかは覚えていない

とにかく大勢いる中で
グループを組んで
ある場所へ行って
ミッションを達成する
みたいな感じで

リーダーは
主催者側が決めていて
ぼくはリーダーだった

ぼくらのチームは
ぼくを入れて6人で
女性が一人
子どもみたいな小さい子も
一人いたし
現実の誰かに似ている
中年の牡羊座のおじさんが一人

夢の中では
「あっ、この人〇〇さんだ」
と思っていたようだったけど
今はもう忘れてしまったのだが
牡羊座だったのは覚えてる
何故か

ミッションがなんだったのか
覚えていない

そこは
外国の公園のような広場で
カラッとした真夏の空は
白い雲とのコントラストが
爽快に鮮やかだった

3メートルくらいの高さの
石だかコンクリートだかで出来た
6人が余裕で入れるドームがあり
半楕円形の出入り口が均等に
5〜6箇所くり抜かれている
風通しの良い日陰にぼくらはいた

            つづく


ふぞろいの腐った果実…②~定時制高校卒~

先日、

かみさんが嬉々としたオーラで
茶封筒を親指と人差し指に挟んで
「これなあんだっ」
とか言って寄ってきた、

「うわっ!
 またなんかやばいの
 見つかったか!?」

世の男は経験があると思うが、
女性の嗅覚というか
何の感覚なのか知らんが
とにかく隠そうとしたら見つかる、

結論から言うと、
高校の「在学証明書」ていうの?
それだった、

「どこにあったの?」
「そこの棚ガサガサしてたら」
「・・・」

不思議でしょうがないのだが
そんなに未知の領域でもない
いつも何気なくは視界に入ってて
「ガサガサ」しない場所だ、

今回は決して
見つかってやましいもの
ではなかったけど、

何の意味があって
そのことが起こっているのか?
神様に聴いてみたいようなことが
起こるときあるよね?・・・

「都立代々木高校」
と書いてあって
開けちゃいけませんよ
みたいなハンコが押してある、

「あー、これ
 鍼灸学校受験した時のやつだ」

実はぼくは、
中卒の事業家で
尊敬する「斎藤一人」さんのように、
社会に出てから
学歴がないことを
強味に生きてきた人間ではない、

高二で学校に行かなくなった時も
退学届けを校長室に
バーン!と叩きつけてやめてきた、

というようなアグレッシブで
ポジティブなやめ方を
したわけではなく、
母親が学校に相談しに行って
結局「休学」扱い
になっていただけのようだった、

それからは、
ぼくの場合は
家にいるのも面白くなかったので、
近所にあった「日本標準」という
教科書をつくる会社に
事務のバイトをみつけ通った、

お金は稼ぎたかったんだろうし
肉体労働は頭になかったようだ、

すでに対人恐怖症だったので、
人とあまり話さなくても済むような
「事務職」的なことが楽だ
と考えていたかも知れない、

5~6階建てのビルで
初めは2階のだだっ広いフロアの
女子社員の隣の事務机で、
封筒のあて名書きをやらされた

やらされた
と書いたが、
2~3か月は忙しくて
次から次へと仕事があって、
そんな感覚でやっていた、

ぼくの机の向かい側には
先輩のアルバイトでおじさんがいて、
あの人いくつだったのかな?
ちょっと髪が薄かったから
40代くらいに見えたけど、
当時のぼくとしては
こんなおっさんがアルバイト?
と自分の現状は棚にあげて思った、

この先輩はしかし
字がとても綺麗で
文字を書く仕事は
天職のようだった、

実際、
繁忙期が過ぎて
仕事が少なくなって
ぼくが朝来て夕方帰るまで
ほぼ座りに来ている状態の時も、
この先輩には時々
「達筆だからこそお願いされる」
仕事が来ていた、

上の階には
大学生のアルバイトがいて、
時々彼らに交じって仕事をしたが
そんな日は極々まれで、

たまに2階で
女子社員からコピーを頼まれて
フロア奥のコピー機を使ってたら
年配の社員から
「上の階でやれよ!」
と怒られて返答に窮していたら
女子社員に助けられた
というような事が重なった、

相変わらず
ただ椅子に座っているだけ
っていう日が続いたので
さんざん悩んだ末に勇気を出して
「今週でやめます」
と女子社員に告げたら
あっさり受け入れられてやめた、

その後は
母親がパートをしていた
OKというスーパーマーケットで
アルバイトをさせてもらって
主に品出しをやられてもらって
コネのヌクヌクだったこともあり
楽しかった、

仕事はやることがあって
楽しかったようだ、

年が明ける頃には
「高校くらいは出た方がいいな」
と節操もないことを
事務バイト経験も踏まえ考え始め
結局「都立代々木」に
編入というかたちで入った、

「全日制」に一年遅れで戻るのは
とても考えられなかったし、
夜間に通う人たちを偏見の目で
一年前には見ていた記憶があった

自分がその視線の中に入る
勇気がなかったので
前の学校に戻る選択肢はなく
よくよくいろいろ調べたら
代々木は夜間と三部制のみで
全日制のない特殊な都立高
ということわかって決めた、

相変わらず、
手続きには母の手を借りていた、

話は長くなったが、
そんな高校の「在学証明書」
の入った封筒を
かみさんはぶらさげているのだ、

「開けてみていい?」
「ま、いいけど…」

そう言えば、
この開けちゃいけません的な
ハンコの押してある封筒の
中身を見たことはなかった、

師匠のところで2~3年働いて、
師匠との格差が明確になったり
治療的な領域の難しさを
ひしひしと感じ始めた頃、
「国家資格はとった方がいい」
とまたまた節操のないことを考え
4~5校受けることにした時に
母校から取り寄せたんだった、

その残りの一通だったようだ、
鍼灸科」のみの学校と、
鍼灸あんまマッサージ科」と
両科のある学校を数校受けた、

開けて見るのを
ぼくはややためらったが、
かみさんは躊躇なくビリっとやり
その中から
初めて見る書面を取り出した、

なんだか胸に詰まるものを感じ
じっくり読む事が出来なかったが
枠で仕切られて数字が並んでいて

ざっとみても
劣等生の足跡が
リアルに数値化され
そこに刻まれていた、

その中に数行の手書きの文字が
書かれてあるのが見えた、

今すでに忘却機能がしっかり働き
はっきり文章で覚えていないが、
小学校の通知表と
同じようなことが書かれていた、

つまり、
一学期は落ち着いていたが、
三学期に進むにつれて
落ち着きがなくなってきた
というのと同様のことだった、

「周りに影響され良からぬ方へ」
みたいな言葉が入ってたと思う、

当時のぼくは、
昼間は住んでいた荻窪から
東西線で神楽坂まで行き、
そこから歩いて10分ほどの
セブンイレブンでバイトをして、
そこから小田急線の代々木上原
最寄りの代々木高に通っていた、

通っていた、
といっても
当然のごとく毎日は行ってなくて、
しかも酒を飲んでから
授業に出ていた、

「単位が足りない!」
という夢をしょっちゅう
ごくごく最近まで見た、

それはその当時、
実際にそういう状況から
ようやく卒業出来たという
リアルを元にしてのものだった、

そんなんだったな…

当時は
ある程度競争率が高く難関だった
鍼灸あんまマッサージ科」
は一校も受からなかった、
という現実をあらためて受け止めた、

「これじゃあ
 まともなところ
 どこも受かるわけないわ…」
そりゃあ当然だわ

一般的な世間の目が
ぼくにとって冷たく感じるのは
「当然のこと」だと思える・・・ つづく

 

 

 

ふぞろいの腐った果実だという事実①

神山杏菜さんの

オンラインサロンに、

「自己開示」

のブログ記事をシェアする

という命題?が出ていた、

 

「公開」ボタンを押すときに

指が震えるような「自己開示」

というやつね、

 

かねてから書き始めようとして

やっていなかったので、

これを機に「自分の取説」という

新しいカテゴリをつくってみた。

 

1964年生まれの

ぼくの学年は

金八先生」なんだよね、

 

その当時は

所謂お茶の間にテレビがあって

そこで観ていたはずなので、

杉田かおるが妊娠するとか

家族で観てたのかなぁ?

それは覚えてないけど、

 

高校に入ってからはまた

家族といた記憶が全くない、

 

高2の途中で学校に

行かなくなったから、

家族団らんの図は

実際なかったと思う、

 

もう少しあとになると

ふぞろいの林檎たち」って

ヒットしたドラマがあるんだけど

これはちゃんと観た記憶がない、

 

だいたい

ドラマを毎週楽しみにしてる

っていう習慣がないので、

そのもう少しあとからの

「トレンディドラマ」も

観たことないです。

 

長渕剛のやつは別だな、

影響されてたし、

そもそも「とんぼ」とか

トレンディか?…笑

 

そんな「ふぞろい」なんだけど

ちゃんと観たことないのに

記憶に残っている「言葉」

があるんだよね、

 

誰のせりふだったのかな?

中井貴一だったかな?

柳沢慎吾だったかも知れない、

 

今調べても

その言葉はわからなかったけど、

あのドラマって

今でいうFラン大の学生が感じる

恋愛や家族そして社会との軋轢を

描いていたのね、

 

学歴とか

出生の優劣とか

一流企業とか

終身雇用とか

パワハラとか…

 

ぼくらの世代だったら

当たり前であって、

そこに疑問を挟む余地はなくて、

その不自由さを

まともに請け負ってきたんだな

ってあらためて思ったけど。

 

中井貴一だか柳沢慎吾だかが

「大学に入ったら

 そのランクで

 恋愛にさえ影響されて

 社会に出ても

 この先ずっとそれが続くんだ」

みたいなことを言うところが

確かあると思うんだけど、

そのふと観たその画面から

その言葉だけがずっと残ってる。

 

なんでそれがずっと

頭の中に残っていたんだろ?

 

そうか、

それは高校2年の時

「学校に行かなくても良い」

と自分に指令を出した

ぼくの頭の中を

説明したからなんだ、

 

「高校に通う意味が

 決定的に無くなった」理由を

言葉にしてくれたからなんだな、

 

ぼくが決定的にその路線から

「リタイアしてもいい」

と思ったのは、

確か模試を受けた結果で

「三流大学にも入れるか微妙」

となった時だった、

 

あえてエクスキューズしない

けど、

全くぼくの頭にあった

正直な言葉だ、

 

「学校が一生自分のランクになる」

のが

「まともな学歴を積む」よりも

遥かに嫌だったんだ、

 

それをテレビの中では、

「世間的に全うな人生」

を送っている主人公が

悔いるように言っている

と聴こえたんだと思う。

 

だからって、

自分を正当化出来たり

自己概念が上がったわけでは

一ミリもないけどね。 つづく

「今」一本のいいうんこがでる、という幸せ

最近、

事務所に入るとまずベランダを覗く、

ハトのフンがあるかどうか確かめるのだ、

 

カーテンは室内の緑に陽が当たるようにいつも開けているので、

どこも触れずにベランダの床が見れる、

 

事務所に来なかった日の翌日には、

数ヶ所やられているのを見つけてしまうことになる、

 

緊急事態宣言後にめっきり施術の予約が減った、

スタッフが自主的に自粛していることもあり、

この部屋の稼働率はきわめて低い、

手技の講習は現在一件もない、

 

つまり、

1ヶ月以上前に比べるとこの部屋には人の気配が少ない、

そこでポッポたちには絶好の休憩場所になってしまうようだ、

 

この部屋を使い始めたのは去年の6月からで、

痩せたハトが室内にぼくがいようと平気の平左で、

ベランダの金属製の欄干にとまりこちらを向いていた、

 

 ふと下を見ると床面にはフンのあとが散乱している、

密集しているというほどではなかったので数ヶ月そのままで放置して、

ベランダ用にサンダルをサッシ側に斜めに置いて被害が及ぶのを防いで、

それを履いて出入りしていた、

 

痩せポッポが欄干や床面にいるのを見るけると、

地味に威嚇する気を発しながらサッシに近づいて直視し、

それでも怯まない場合は扉をザッと開けて追い立てた、

そのうちこのベランダには寄り付かなくなっていた、

 

それ以上フンが増殖するようなこともなかったのでそのままにしていたが、

ある時ぼくの留守中にスタッフがきれいに掃除してくれて、

次の日覗いたらベランダは当たり前の状態になっていた、

 

その日ぼくはスタッフが施術の入っていない時間を見計らって電話をしたのになかなか繋がらなかったということに腹を立てていたのだが、

ベランダの掃除をしていたと知って恥ずかしくなり、

それから感謝した自分がもっと恥ずかしくなって自分が嫌になった、

 

そうなってみるとその状態が当たり前で、

そうでないことがあり得ないと思うようにもなっていたのだが、

しかし、 

その状態を放置しておかなければならないほど、

ぼくにはハトのふんの手前にいろいろやるべきことがあったのだ!

 

それは、

日々の施術のことだし、

売り上げについて考えることだし、

支払いまでに銀行の残高と入金の差額を知ることだし、

昼は何を食べるか夜飯は何を作るか考えることだった、

 

そして仕事が終わったら、

どこで何の酒を何本買うか、

それが正直最優先のやるべきことだった。

 

 

**********************

 

 

酒をやめると選択肢が減る、

 

飲むか、飲まないか、

何を飲むか、

どこで飲むか、

何本飲むか、

まだ飲むか、もうやめるか、、、

 

これは旅行の時に気がついた、

車で移動することが決まっている時は楽だった、

飲む選択肢がないからだ、

 

対して、

電車や船や飛行機で行く時や、

車でも運転しない時などは選択に迫られていて忙しい、

 

常に、

飲むか飲まないか、

どこで飲むかいつ飲むか、

どこで買うかいつ買うか何を飲むか何本飲むか、

いろいろ考え続けて実行しなければならないので、

観光どころの騒ぎではないのだ、

 

景色とか風景とか景観とかを味わうよりずっと手前に、

今まで生きてきてみた光景や情景をアルコールで整えることの方が、

はるかに優先順位が高かったのだと思う、

 

おそらくだが、

「今の状態が整えばもっと楽しめる!」

 とか思っていたと思う、

 

ものごとを深く考えたり、

正面から受け止めるということを、

過去の記憶が整理出来たら、

未来の不安が解消出来たら、

そうしたら出来ると思おうとしていて、

今のところは麻痺させておこうというわけで、

仕事の区切りの隙間はとりあえず酒で埋め続けていたのだと思う、

 

 

**********************

 

 

今、この時以外に今はない、

今やれる今がなければ、

いつかやれる今などない、

 

どうしてお酒をやめることができたんだろう、

と考えることがある、

 

たぶん、

死ぬこと以外に確実なことはない、

なので、

今これ以上に何を望んでも無駄である、

とわかってしまったのかも知れない、

 

たった今、

これ以上に過去の出来事を良くしようとしても、

自分以外の何者かになって未来をより良くしようとしても、

今やれることをやらないと

今から現れるより良い未来も過去もない

そういうことだ、

 

たとえば、

売上も貯金も借入の数字さえも、

夢みたいなことに浸っていてもどうにも変わらないのだ、

 

そのためには、

過去を整える酒も、

未来を癒したり増幅したりする酒も、

その「時間」を自分だけのそのための目的に使うとしたら、

次の朝何も変わらない「今」をさらに疲労した肉体で痛感するだけだ、

それだけのことだ、

 

 

事務所に入ったらベランダを見て小さく一喜一憂して、

ヤツが爪痕を残していたら時間をみて掃除をする、

 

掃除の道具も必要なものを選んで購入して、

やり方も自分に最適に改良して、

たったそれだけに満足できる、

以上、おしまい、

 

時間があるから出来ているだけの事かも知れない、

 

でも、

今もお酒の選択に迫られていたらそんな暇はないし、

体と頭のそこここにアルコールと思考の老廃物が蓄積していて、

重力に抵抗するための労力に追われていて、

心の状態の整理には遠く手をつけられない、

 

そうやって日が積み重なって行く、

 

手っ取り早く脳内で得られる幻想の時間の蓄積は、

クリアな頭と体を動かして現した実際からゆくゆく遥かかけ離れていく、

それに気がついたからやらなくなったというだけの話で、

やはり今のぼくに今できる最善を選び続けているとすれば以前と同じことだ、

 

だから、

今は隙間にお酒を入れなくなっただけのことで、

寝て、起きて、食べて、

ハトのフンを掃除して少し人の役に立てたと思って、

そしてまた食べて寝るだけなのだが、

「最近は紙に全く汚れのつかない一本のいいうんこが出るなぁ」

ととりあえず「今」喜べることが少し成長したと思えるのだ、

 

そのうちもっといいのが出るかもしれないけどね、

今はそれだけ、以上、おしまい、

でも、それがいいんだ、

 

 

 

【非常識派宣言】人間嫌いに最高の緊急事態

実は、

正直にいうと人間が嫌いだ、

本当に、、、

 

世の中、

正月の三ヶ日が毎日だったらこんなに好い事はない

と常々思っている、

 

 

それなのに、

何故こうも無駄に忙しくなったり、

人が多くなったりするのだろう、

 

 

地方から「自粛要請」が明けていくらしいが、

もし世間がこのまま元の状態に戻るなら、

ぼくは元のアルコール依存症に戻るだろう、、、

 

 

経済活動

なんてものがなければ、

人と群れをつくって生きることはしない、

 

お金がないと生きていけない

というゲームの中に放り込まれてしまっているので、

無理やり会いたくもない人たちのご機嫌をとりながら生きている、

というのが全く正直な現状だ、

 

 

ほとんどの凡人は、

「我先」に、

まずは「自分が」「我」

で台頭して来る、

 

譲るしかない、

 

というと、

人は鏡だから、

あなたも同じようなもんよ、

とかいう輩がいるが、

トイレットペーパーをいち早く買い占めたり、

必要ある所に出回ってないのに不必要に大量に備蓄して安心する我先らと、

同じ次元の鏡だとは到底思えない、、、

 

 

***********************

 

 

こんなに堂々と用事がなくて済む世界は素晴らしい、

 

世の引きこもりたちは、

自分らの正当性を謳歌しているのではないか、

とさえ思える、

 

不登校や、

いじめられっ子や、

学校嫌いな運動音痴な子供らは、

嬉々として自宅の部屋で自粛していることだろう、

 

そう言えば、

小学生以下は見かける気がするが、

体力と性欲を持て余す中高生たちは一体何をしているのだろう?

 

 

ぼくはと言えば、

この緊急事態を見越して早めに動いていたお蔭で、

平時では得られない額の借入が出来て、

さらに持続化給付金を戴くことが出来た、

 

ただ、

もちろんそれで全て安泰でいられるかというと、

当たり前だがそんな訳はなくて、

 

すでに借入に手をつけ生活費や必要経費の支払いを捻出しているし、

毎月の家賃をはじめとする必要経費、生活費、

事業資金の借入の返済を滞りなく果たして生きていこうとすると、

数百万単位のお金は決して安心を担保できるものではない、

ということを実感している、

 

ただこの数百万円の借入の返済が始まるのは一年後で、

この数ヶ月の間は比較的猶予された期間となった、

 

ぼくにとってこの1年間は、

自分をとり戻す最高のチャンスになる、

 

この数ヶ月を、

今までと同じ繰り返しをやっていたり、

いかに元に戻すかに労力を注ぐ事にかまけていたりすると、

今までのままの地獄のような人生のまま

終わる事になると想像できる、、、

 

 

ぼくはこの時期にあらためて、

自分の信長正義たる所以を知り始めている、

 

前回のブログに、

『人間嫌いの寂しがり屋』

と書いたが、

実はそうではない、

と今日気がついたのでこれを書いている、

 

ぼくは紛れもないHSPであり、

実はいくらでも一人でいられるので「寂しがり屋」とは違う、

「HSP」についてはまた書く機会があるかも知れないが、

去年書いたブログは↓ここに紹介しておきます、

tentochitohito.blogspot.com

 

 

ぼくは多感な14歳の頃、

精神的な無言の虐め

を受けていることを初めて知り(初めは自分の事とは知らなかった)、

そのショックで重度の対人恐怖症になった、

 

人が会話している

のが怖かった、

そのの中に入っていくことが出来なくなった、

 

人の輪は、

たいていはではなく、

乱れを寄せ集めた恐怖の雑音だった、

 

自分で和がつくれたのが音楽だった、

音楽があると、

乱れた“人の心が調和”することに心底安心した、

 

 

音楽をずっとやっていければ幸せだ、

と思ったが、

世の中そんなに甘くなかった、

 

世の中そんなに甘くねぇんだよ!

と言われ続けた、

 

それでも、

親の言うことは聞かず、

父親を憎み、

母親を泣かせて、

自分が思う通りに生きようともがいた、

 

そのを聴いて、

ある人が立ち止まって手を差し伸べてくれた、

 

それがかみさんだった、

 

 

かみさんは実社会で生きていくために天が使わした、

ぼくにとっては天使だと思う、

かけがえのない人だと思った時から離れられなくなったら、

この人と一緒にいるには社会の一員として生きていかなければならなくなった、

またまたもがき苦しんでいたら、

身なりの整った紳士が現れてその人が師匠になった、

整体ならうつ伏せでやれば対人恐怖症でもなんとかなって独立して仕事ができるかも知れないと思ってがむしゃらにやっていたら7年後に独立できた、

 

一国一城の主人になれたのはそれが初めてで2006年のことだ、

 

あれから14年になるが、

ここが転機だと思う、

 

人は7年周期である転機が訪れるそうだ、

 

軽自動車でフェラーリのように走ろうとしている

と音楽の先輩に言われたことがある、

むかついたがそうだと思う、

 

血圧も高速でメーター振り切っていた笑

当たり前にそういうふうに生きてきたもんな、

 

 

自分が本当に生きたかった生き方、

やりたかったことは何なんだろうってこんなに考えられる時間はなかった、

これも天が与えてくれてるんだ、

大切にしよう、

 

そうなんだよ、

天使と逢いたいんだよ、

天使、

天使カモン天使に感謝

 

かみさんは大好きだ笑

 

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鬱に入りそうなので床屋に行ってみた

2020年5月8日金曜日、

朝6時45分に目が覚めて、

トイレに行って、

顔洗って歯を磨いて、

寝床に戻って座ってiPadみて、

血圧測ってから散歩に出た、

 

家から一番近い公園は、

マンションの裏口から出て裏の通りの坂道登ってすぐの左側にある、

 

親子連れがすでにいたが、

いつものベンチのそばの定位置は空いていたが、

その後ろの木がうわっている横で気功をやろうと思って近づくと、

猫がバイクに座って三密を避けていた、

 

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気功はいい

ぼくはこの3年これで成長し救われた、

で、進むべき方向に進み始めた、

 

気功は実は脳科学量子力学に通じている、

難しい説明はできないが、

迷信ではなく科学であることは確かである、

実績と自信がある、

 

気分よく家に戻って、

サンドイッチをつくって、

仕事にギリギリで出かけるかみさんをつかまえて、

3枚重ねのやつを4分の1カットだけ食べてもらって見送った、

 

今日は夜に一件だけ施術の仕事が入っているだけだったので、

YouTubeを観ながらうとうとして気がついたらメールが来ていた、

 

先日初めていらした患者さんからのメールで、

とても快活でいらっしゃり、

ブログやインスタをやっていてファンが沢山いらっしゃって、

ぼくの今後の理想とする人だと思い、

HPやブログやYouTubeやインスタのアドバイスをお願いしていたのだ、

 

読ませて戴くと、

真っ当な事が書かれてあって、

わ、自分にそれは出来るかな?

というのと、

一言も褒められていなかった

ので落ち込みを選択し始めて、

鬱に入りかけた、

 

ファンをつくる

とは、

寂しがり屋の人間嫌い

のぼくにとって、

おそらく人生で最高最大のテーマ

だと思われる、

 

それほど、

音楽をやっても、

整体の仕事をやっても、

避けて通ってきたテーマだ、

 

避けてたのかな?

通ったけど乗り越えていないだけかも知れない、、、

 

 

そのことだけが頭の中でいっぱいになり始めて、

考えても無駄だ

と気付いて、

そういえば髪を切りたかったのだと思い出していつもの床屋に電話した、

 

今すぐでなければ夕方になる、

と想定外の答えが返ってきた、

 

おー、意外にも…

自粛明けを待てずに動いている人がいるな、、、

すぐ行きますと告げて電話を切った、

 

自転車で5分以内に駆けつけると、

見習いスタッフの男子が二人と、

いつもお願いしているマスターの娘さんだけで、

5席ある空間は広々としていて風通しも良かった、

 

3人とも当然マスクをしていて、

ぼくもマスクをしたまま席に着いた、

 

「切る場所によってはマスクを外すことになりますがどうしますか?」

「とってもいいの?」

「はい」

そうなんだ、

お客はマスクを外していてもやってくれるんだ、

 

この時点ですっかりコロナがうつるとかうつすとか、

ほとんど全く気にならなくなっていた、

 

二人のお子さん持ちのたぶん三十代後半の娘さんと、

ふだんはあまり交わさない世間話をした、

業界の情報が知りたかった、

 

5席のうち両外側と真ん中以外の2席は空けたままにして、

間隔を空けて施術しているそうで、

基本的に予約制に変えているらしい、

 

ぼくは仕事柄、

自分が予約して来て欲しいので自分も必ず電話で予約するのだけど、

とくに年配の方はフラッといらっしゃる方が多いようだ、

 

ぼくも子供の頃は自分の都合の良い時に行ったし、

たいていは1時間以上長椅子で漫画を読みながら待たされたもんだ、

それが当たり前だった、

 

しかし、

このご時世この空間に待っていてもらうわけにはいかず、

一旦お帰り願うとのこと、

 

それでも「今度は予約なしでもいい?」と言われる常連さんは多いそうだ、

 

そんなこんなで、

2ヶ月ぶりに以前と変わらない工程で進めて襟足を剃られている頃、

新しいお客が入って来てスタッフの子が準備していたら奥からマスターが出てきた、

 

たしかもう70過ぎているらしいが、

いつもハリのある大きな声で背筋も伸びている細身で元気な大先生だ、

 

その客とやはり世間話をしていたが、

いつもと違い話の端々にやたらとため息をついた、

 

聞くからに落ち込んでいるというようなやつではなく、

「ハーッ、まったくいつになったらあけるんだか」

とか、

「まったくやんなっちゃいますよね、ハーッ」

そんな感じだったが、

 

「半減ですよ、まったく、ハーッ」

客足のことを言ってらしたが、

終了時間も早めになることが多く、

夕飯を食べてもまだ7時ということもあり、

飲みにも行けないからやることない、

と嘆いてらした、

 

 

前回と同じ髪型にしてもらい、

気分よくそこを後にしたが、

気持ちの良い気候の気持ちの良い風に吹かれながら自転車で中野に向かう途中で、

心はまだ曇ったままだった、

 

 

****************************

 

施術が終わって朝のメールの返信をしようと思ったけど、

なんだかグダグダ言い訳みたいな文章になってきたので、

これはいかんと思い、

ベランダに出ていつもの気功体操をやった、

 

これは実は瞑想でもあるのだ、

とても価値のあるものなので、

やすやすと教えることはできない、

 

価値のあるものは、

価値を知るものにしか伝えられない

そういうことだ、

 

この時間でマインドセットが出来た、

つまり、

自分の人生は自分で選んで進む

そういうことだ、

 

数が多い少ない

とか、

儲かる儲からない

は、

『この人生でやりたい事をやった結果

 どちらでもいいのだ』

やりたい事をやりたいように自分の思うように、

誰にも指図されずに

誰の目も気にせずに

“成し遂げる”

そういうことだ、

 

ハーッ、

晴れた…

 

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そう言えば今思い出した、

今朝6時45分に目が覚めた時に、

少し焦っているような不安感があったのだ、

 

ゆうべ寝入る前に、

年齢の事に関するネタをYouTubeで観ながら寝たせいかも知れない、

 

患者さんが貴重な時間を割いて送ってくれたメールは、

そんなにネガティブなものではないはずだ、

ぼくの朝の目覚めの思考の修正がうまくなかったせいだ、

 

それ以前に寝入りの思考だけどね、

 

そうだ、

マスターのため息も早く晴れたらいいなぁ、、、

 

 

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DANGEROUS SNS《親密とは》

きょう、

あいつFacebookを、

過去に遡って見返した、

 

実は、

ぼくは彼の携帯の番号を知らなかった、

 

ぼくが携帯電話を持ったのはかみさんと付き合い始めてからなので、

おそらく1997年のことだ、

 

ぼくが彼と知り合ったのは1987年なので、

少なくとも10年間の連絡はいわゆる「家電」だった、

 

ぼくから彼にかける事はほぼなく、

もっぱら彼がぼくのことを心配してか、

彼が暇を持て余すというのは考えにくいので、

もしかしたら寂しかったのかも知れない、、、

 

ぼくは当時、

しょっちゅう音楽活動のことで落ち込んでいた、

女にふられたとか、

アルバイト先で嫌なことがあったとかも含まれていたと思うが、

とにかくしょっちゅう凹んでいた、

 

そんな時、

よく電話のベルが鳴った、

 

ぼくは電話が嫌いだった、

ベルが鳴るのがとにかく嫌だった、

特に落ち込んでいる時などは出るつもりもなく、

コードを抜いていることも多かった、

 

友人の中には自分の事ばかり話したがるヤツがいた、

決まって長電話でその時やっているゲームの話だとか、

付き合おうとしている女の話とか、

ぼくはその当時テレビを持っていなかったがとんねるずの番組の話とか、

とにかく女の腐ったような長電話に付き合った、

 

彼はぼくを勇気づけてくれることだけを話してくれた記憶がある、

他にも彼が当時付き合っていた後の奥さんの事なんか喋ったんだろうが、

ぼくの中には彼からは自分の自慢話をされた覚えはない、

 

 

************************

 

完璧に偏見だが、

FacebookInstagramは何というんだろう、

自慢話の温床のようだ、

 

「虚栄心」と言っていた人もいたが、

いわゆる盛っている

ってやつだ、

 

他人の自慢話が好きな人はいないだろうが、

何故かここではもてはやされている

ように見える、

 

見えるのだ、

 

ほんとうの心がもてはやしているのかは知れない

 

つい最近、

仕事のためにインスタをよくやるようになったのだけど、

人形みたいな女子がこの世の中に多く存在している事を知った、

 

見たこともないような目がおっきくて、

肌というのか表面がすべすべのタレントのようなのがゴロゴロいる、

 

恥ずかしいが、

本気でそういう人が生きている世界があるのだなぁ

と思ってた、

ついこの間まで、

 

かみさんに見せたらもちろんアプリでの加工

 

だそうな、

 

それでも、

こんなアプリあるわけないじゃん!

と本気で反論したくらいだ、

あのゲームセンターとかのプリクラ?レベルはわかるのだけど、

あんなのあるんだね、、、

 

 

 

**********************

 

あいつのFacebookには、

お店にいらしたお客さんとの写真や、

商店街の水撒きや、

ラソンの写真も印象的だった、

観た映画の記事もたくさんあった、

 

もちろん彼らしく、

それを自慢しているようにも、

ましてや虚栄しているとも受け取れない、

 

楽しく懸命な日々

が詰まっている、

 

 

 

彼の奥さんにいつかそのうち連絡がとりたい、

と思っている、

さっきまでは勇気が出なかった、

 

 

去年の年末にガラケーから初めて買い替えたiPhoneの、

連絡先には当時からのままの家電の番号と、

おそらく彼が大学院の頃使っていたメアドだけがあった、

たぶんぼくが結婚してから初めて買ったパソコンが五色のiMacで、

パソコンのメールのやりとりを少しやっていたのかも知れない、

 

不思議なことに、

彼とは携帯で連絡をとったことはなかったんだ、、、

ぼくがかみさんと知り合って、

付き合い始めて携帯を持って、

結婚して、

 

そう言えば、

その頃にはぼくがくよくよするのを助けてくれる役は、

かみさんになっていたからな、、、

 

mixiを彼と使った記憶はない、

彼のFacebookの記事にぼくが上がったこともないし、

ぼくが彼の事を載せたこともない、

 

さっき見たら、

メッセンジャーでのやりとりが2014年の1月1日にだけ残っていて、

ぼくから新年の挨拶して彼から返事があってそれに返しただけで終わっている、

 

 

 

ついこの間、

4月の中頃にお店の営業を自粛するという記事を見かけて、

自粛中に映画を楽しんでいるという記事を数回読んだ、

 

整体院をやっていて休業しない事を選んでいたぼくには、

余裕なんだなぁ…

ってしかみえていなかった、、、

 

 

 

 

ぼくはすでに親密な付き合いをしていなかったけど、

SNS

で繋がろうとするものは何なんだろうって思う、

 

でもそれはSNSだけの問題じゃないな、

心の交流

って何なんだろうな?

 

最近の自分を振り返ると、

心を開いているのはほぼかみさんだけ

で、

あとは経済活動

に埋れちゃってるな、

心、、、

 

あいつはとても頭が良くて真面目で面倒見が良くて優しくて繊細だった、

あの頃は心で繋がっていたな、

 

たぶん、、、

 

 

 

バカで不真面目で適当で鈍感なままでいいかも知れないな、

あの頃ヘタレながらそれにしか救われなかった音楽を、

あんなに励まし応援してくれていた彼のためにもやり続ける、

彼の無念を想い書いた詩、

残されたぼくたち全員に乗り越えるエネルギーを、

与え給え。


【信長正義】保障潜隊☆センゲンジャー